倭国の由来 (古代メソポタミアから)
倭国の賀茂氏や忌部氏の由来 (古代メソポタミアから)
メソポタミア南部のウルとエラム王国を拠点にしていたエラム人・アムル人・シュメール人共同体が、どのように倭国になっていったのか?
バビロニア帝国台頭によって、東へ移動
中国大陸で、商 (殷) を建国
バビロニア帝国台頭の 100 年後ぐらいのこと
って 『アマテラス解体新書』 には書かれてたけど、バビロニア帝国台頭が紀元前 1600 年代、商の建国が紀元前 1700 年ごろだとすると、商の建国の方が先では??
商という名前は、中国名では Shang (シャン) で、ウルで崇拝されていた月の神シンの別名 Suen とほぼ同音
「商」 という字が充てられているのは、多くの商人が居たから
アムル人のことではないか?
アムル人系王家が権力を持っていた時代からエラム人系王家に取って代わった後半が殷
そう考える理由
青銅
商 / 殷は青銅を東アジアで初めて使い始めた国
青銅はもともとメソポタミアあたりで発祥した
商 / 殷が日本列島で倭国になっていった
殷が次の周に滅ぼされたのは紀元前 1000 年頃
紀元前 1000 年頃というのが、弥生文化の起こりと一致
殷の人々が避難するように東に向かったのは孔子の話からも読み取れる
倭国における賀茂氏と忌部氏
殷やイマ (当時の発音では 「イン」 に近かったと考えられる) の流れを汲むのが、忌部氏ではないか
エラム人系の人たちが忌部氏に繋がったのでは?
現在の徳島、阿波の忌部氏の祖は天日鷲神 (アメノヒワシノカミ)
別名が天加奈止美命 (アメノカナトミ = アメノカナトビ)
「カナトビ」 は金の鳶、金鳶 (キンシ) を表しているとされる
八咫烏の別名 「金鵄」 (キンシ) と同一説がある
エラム王国でスサに負けないほど栄えた姉妹都市にアワ (Awan) があった
阿波国と同じ読み
DNA 解析でも徳島県や四国は渡来系が多い → 忌部氏は渡来系だと考えられる
古代エラムのアワから東に行き、殷を建て、殷の滅亡後に北部九州に移住し、さらに瀬戸内海を通って現在の徳島県あたりで発展したのが忌部氏ではないか
甲骨文字
中国の歴史書 「契丹古伝」 には、「殷元これ倭国なり」 (殷はもともと倭国 (ウルのことだと考えられる)) と書かれている
倭国の賀茂氏や忌部氏は祭祀系の氏族なので、武力的な要素での発展を誰が担ったのか?
それが大和王権だと考えられる
関連
シルクロード
インシュシナクはゾロアスター教の初期の神イマ (YIMA) に姿を変えていく
さらに、ヒンドゥー教のヤマ神、仏教の閻魔大王になっていく
参考文献
アマテラス解体新書